好きなものとの距離感を見誤ってはいけない

createdAt 2019-03-07

最近タイに来すぎていている。

同時に気をつけなければと感じている。

非日常が少しずつ日常に近づいて行ってしまっているのだ。

平日があるから休日があるよう、非日常は非日常であることに価値があるのだ。永遠に続く休日になど何の価値もない。

我にとって、人生を楽しく全うするために如何にして暇つぶしを楽しむかということは大変重要だ。

そのためには新たな暇つぶしを見つけるか、もしくは今あるものをなるべく飽きないよう長く楽しむ方法を模索することが必要である。

新たな趣味など簡単に見つかるものでもなければな見つけに行くのも少し違う気がする。

故、好きなものとの距離感はとても大切だ。

我思うに、飽きのこないものなどない。距離感を間違えればすぐに冷めてしまう。常に新鮮であることが楽しむ秘訣だ。

世界一周を夢見たこともあった。しかし妄想の果て容易に想像できた。

その旅は今でも新鮮なのか?

空港の降り立つ度に心が踊っているのか?

もはや日常になってしまって飽きていないか?

圧倒的Trueであろう。

なので我は、適切な距離感を保ち抗体が出来ないようギリギリのforeignを摂取しながら少しでも長く楽しみたい。

タイに来ると、小太りのおじさんが「風俗は飽きた」などとまるで人生の師匠でもあるかのような顔をして語りかけてくる。

その度「あぁ、このおっさん早ったな」と内心思ってはいるが、「ま、まじすかっ!流石っす!」と我は対応している。

我はえらい。

大きな暇つぶしが失われた時、唐突で巨大な虚無感に襲われるのは我だけだろうか。

もう終わってもいいかなと思ってしまうのは我だけだろうか。

そんな悩みを抱えることなく、楽しく充実した人生を来たるべき時期が来るまで全うしたい。

我の願いはそれだけなんだ。

いくら銭を稼ごうとも、高級マンションに住み、高級車を乗り回そうとも、人生の暇つぶしがなくなればその者に待っているのは絶望のみである。

自由の重さに耐えられる人間などそう多くはない。

制約と規約の中で欲しい物にまみれ、それを手に入れるためもがく過程こそ人生。

その道中楽しむことこそ至高なのだ。

その点、仕事に人生のそれを見いだせる者は本当に幸せ者である。正に天職。人生の本当の意味での勝ち組だろうと我は思う。

「こいつ何言ってんだ?」
「我って一人称やばすぎんか?」

と読者の諸君は思っているのだろうのでそろそろ幕としよう。



おっさんが初心を取り戻すことを願って。